2014年1月15日水曜日

形式知と暗黙知:知識管理の本質

知識管理(ナレッジマネジメント・Knowledge Management)の主要な理論の一つに、知識を形式知(Explicit)と暗黙知(Tacit)に分ける見方がある。

簡単に言うとデータやドキュメントなどに変換可能な知識が形式知。
人間から切り離せないノウハウやスキルを暗黙知としている。

同じように知識を物のように扱えるとするObjectivist的なアプローチ。
知識は人の行動に紐づけられるとするPractice-basedアプローチというのも一般的に受け入れられている説である。

ここで疑問になるのが形式知と暗黙知の分け目とはどこかということである。
ナレッジマネジメントのモデルとしては、そこまで詳細に詰める意義も価値もないので議論に上がることはあまりない。

しかし、今までの社会や経済の発展は暗黙知を形式知に変換してきた歴史ではないだろうか。
フォードは車の組み立てという高度なスキルを、細分化しモジュール化し誰でも扱える形式知として広めた。
かつては高度な暗黙知だった戦略コンサル業の知識も、多くの理論が発展するにつれビジネス用語という形の形式知として広まっている。
すなわち、長期的視点で見れば暗黙知をどれだけ形式知として変換させていけるかが重要だ。

最近の流れでは暗黙知は暗黙知としてしか伝達できないのだから、人と人とのつながりを促進させるアプローチが主流となってきているが、それでは本質的な発展は成し遂げられない。

しかし、どんな知識でも形式化してしまえばいいという訳でもない。
暗黙知が人の行動にしか現れないというのは、それだけ他の知識と結びつきが強いからだ。
すなわち、暗黙知を形式化するには膨大な情報量が必要だ。
だが実際はそれが行われることはなく、利用者が各々知識を補いつつ獲得していくというのが現実だろう。

結局、生産的な議論にはならない着想だったが、今の人間的なつながりに重きを置きすぎるノレッジマネジメントの流れは本質を見失ってしまわないかというところに疑問を呈しておきたい。


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