ラベル 情報 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 情報 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年1月18日土曜日

言葉のちから。流行語の具現化性

就活、空気、韓流、アベノミクスなどなど
言葉は作られ、広まる。

そして広まった流行語は、人が相互に共有する情報となる。
高い相互情報量はそのまま文化と捉えられるかもしれない。

ただ、いつも疑問に思うのが言葉が先か現象が先かという問題である。
もちろん発端は現象にあるのだろうが、言葉が作られることで現象が促進されることがある。

流行語の類はいうまでもなく、日本独特の花粉症だとか肩こりだとかもこれにあたるだろう。
文化の違いだと言われることも多いが、実は言語差が主因ではないかと思える例も多々ある。
虹には何色あるのか、と問われて子供たちは七色と答える。
コメと稲の違いは何か、と聞かれて稲作などしたこともない人間が違いを答える。
雪の種類は何種類かなど、雪などあまり降らない地域に住む日本人でも数種類以上あげるだろう。

言葉というのは、人の認知能力に深く関わっているのだ。
なので、多くの言葉を知ることで認知能力を高められると推測できる。

そういう意味で、本を読めば世界が広がるというのは言語的には大正解かもしれない。

2014年1月15日水曜日

形式知と暗黙知:知識管理の本質

知識管理(ナレッジマネジメント・Knowledge Management)の主要な理論の一つに、知識を形式知(Explicit)と暗黙知(Tacit)に分ける見方がある。

簡単に言うとデータやドキュメントなどに変換可能な知識が形式知。
人間から切り離せないノウハウやスキルを暗黙知としている。

同じように知識を物のように扱えるとするObjectivist的なアプローチ。
知識は人の行動に紐づけられるとするPractice-basedアプローチというのも一般的に受け入れられている説である。

ここで疑問になるのが形式知と暗黙知の分け目とはどこかということである。
ナレッジマネジメントのモデルとしては、そこまで詳細に詰める意義も価値もないので議論に上がることはあまりない。

しかし、今までの社会や経済の発展は暗黙知を形式知に変換してきた歴史ではないだろうか。
フォードは車の組み立てという高度なスキルを、細分化しモジュール化し誰でも扱える形式知として広めた。
かつては高度な暗黙知だった戦略コンサル業の知識も、多くの理論が発展するにつれビジネス用語という形の形式知として広まっている。
すなわち、長期的視点で見れば暗黙知をどれだけ形式知として変換させていけるかが重要だ。

最近の流れでは暗黙知は暗黙知としてしか伝達できないのだから、人と人とのつながりを促進させるアプローチが主流となってきているが、それでは本質的な発展は成し遂げられない。

しかし、どんな知識でも形式化してしまえばいいという訳でもない。
暗黙知が人の行動にしか現れないというのは、それだけ他の知識と結びつきが強いからだ。
すなわち、暗黙知を形式化するには膨大な情報量が必要だ。
だが実際はそれが行われることはなく、利用者が各々知識を補いつつ獲得していくというのが現実だろう。

結局、生産的な議論にはならない着想だったが、今の人間的なつながりに重きを置きすぎるノレッジマネジメントの流れは本質を見失ってしまわないかというところに疑問を呈しておきたい。


2014年1月11日土曜日

日本語でのインターネット、情報マクロ

インターネット上での日本語の割合は4位ぐらいで意外に高いが、日本語のWikipediaの記事数は12位前後と少ない。

個人的な体感だが、文化的な傾向があるようで料理系など日本語でしか書かれていない記事も多くある。
一方で、Managementなど学術的な記事になると日本語の記事はとても少ない。

ウィキペディアの日本語翻訳を増やすべきだと短絡的に繋げるのもいいけど、もう少し構造的にとらえてみたい。

たとえば他のマイナー言語になるとさらに情報の絶対量が少なくなるが、マクロ的にはどうなのだろう。情報をフローやリソースととらえて、このあたりを考えてみたい。言語の壁は情報伝達の障壁か、それとも多様性を守る壁か。