2014年1月27日月曜日

ブログ管理:公開してみて

最初の記事からまだあまり日は経っていないが、ブログを書く気持ちが少しずつ変化してきた。

当初は忘れてしまってもいいようにノートを取り、それをついでに公開ぐらいの軽い気持ちだった。
しかし、公開してからだんだんと書くことが習慣になり、また目的になってきている。

今までは、何かを読んだり思いついたりして、それについて少し時間をかけて考えて、また「これいいんじゃないか」という自己評価を経て、初めて書き留めておきたいという欲求が生まれてきていた。
だが今では、ブログに何書かなくてはという強迫感にも似た欲求がある。
おそらくは何らかの影響で書くこと自体が目的化してしまっているのだろう。

ページビューの増加が一因であるのは間違いないと思う。
誰かのためになりたい、読んでもらいたい、数字を増やしたいという欲求は何かしら公開している人にとっては普通の感覚だろうけど、自分の元々の目的を顧みると好ましくない。
というのも最後にはブログ疲れが出てしまうと思うからだ。
他者とのつながりがある限り欲求がいつの間にか責任になってしまう現象からは逃れられないだろう、そんなことはどこにでもある話だがコントロールするのは難しい。

なので、当初の目的を忘れずに自分の立ち位置を今一度確認したい。

と、ここまではいいのだが、もう一つ大問題が発生している。
忘れることを恐れなくなってしまった。
最近の研究では写真を撮ることで記憶が薄くなるという。
また、ウェイターは支払いの終わった客が何を注文したか覚えないという。
脳科学的には記憶には始まりと終わりがあって、おそらくブログを書くという行為が忘れてもいいというサインになってしまっているのだろう。
さてはてどうしたものか。

戦略経営についての記事は人気があるみたいなので社会貢献の意味も込めて続けていこうかと思うのだが。

【ブログの目的 ver.1.2】
(良い情報の再拡散)
‐目に留まった記事のスクラップ&コメント 
‐気になった映画や小説の紹介・再考察
(自分用メモ)
‐頭に浮かんだアイディアのメモ取り⇛即公開 
‐複雑な考えの書き出し、自己まとめ
(社会貢献)
‐Google検索で出てこない情報の紹介・追加
(自己スキルアップ)
‐文章を書く練習

2014年1月18日土曜日

言葉のちから。流行語の具現化性

就活、空気、韓流、アベノミクスなどなど
言葉は作られ、広まる。

そして広まった流行語は、人が相互に共有する情報となる。
高い相互情報量はそのまま文化と捉えられるかもしれない。

ただ、いつも疑問に思うのが言葉が先か現象が先かという問題である。
もちろん発端は現象にあるのだろうが、言葉が作られることで現象が促進されることがある。

流行語の類はいうまでもなく、日本独特の花粉症だとか肩こりだとかもこれにあたるだろう。
文化の違いだと言われることも多いが、実は言語差が主因ではないかと思える例も多々ある。
虹には何色あるのか、と問われて子供たちは七色と答える。
コメと稲の違いは何か、と聞かれて稲作などしたこともない人間が違いを答える。
雪の種類は何種類かなど、雪などあまり降らない地域に住む日本人でも数種類以上あげるだろう。

言葉というのは、人の認知能力に深く関わっているのだ。
なので、多くの言葉を知ることで認知能力を高められると推測できる。

そういう意味で、本を読めば世界が広がるというのは言語的には大正解かもしれない。

2014年1月16日木曜日

味の科学

フードペアリング仮説 「“科学的”食材組み合わせ」による新メニューの開発 - http://yashoku.hatenablog.com/entry/2013/11/13/215638

味覚の科学がついに情報科学と融合?
食べ合わせの味を科学するデータベースが登場した。

このブログはいつも興味深く拝見しているが、興味深い記事がとても多い。
こんなブログを目指したいと思う。

2014年1月15日水曜日

形式知と暗黙知:知識管理の本質

知識管理(ナレッジマネジメント・Knowledge Management)の主要な理論の一つに、知識を形式知(Explicit)と暗黙知(Tacit)に分ける見方がある。

簡単に言うとデータやドキュメントなどに変換可能な知識が形式知。
人間から切り離せないノウハウやスキルを暗黙知としている。

同じように知識を物のように扱えるとするObjectivist的なアプローチ。
知識は人の行動に紐づけられるとするPractice-basedアプローチというのも一般的に受け入れられている説である。

ここで疑問になるのが形式知と暗黙知の分け目とはどこかということである。
ナレッジマネジメントのモデルとしては、そこまで詳細に詰める意義も価値もないので議論に上がることはあまりない。

しかし、今までの社会や経済の発展は暗黙知を形式知に変換してきた歴史ではないだろうか。
フォードは車の組み立てという高度なスキルを、細分化しモジュール化し誰でも扱える形式知として広めた。
かつては高度な暗黙知だった戦略コンサル業の知識も、多くの理論が発展するにつれビジネス用語という形の形式知として広まっている。
すなわち、長期的視点で見れば暗黙知をどれだけ形式知として変換させていけるかが重要だ。

最近の流れでは暗黙知は暗黙知としてしか伝達できないのだから、人と人とのつながりを促進させるアプローチが主流となってきているが、それでは本質的な発展は成し遂げられない。

しかし、どんな知識でも形式化してしまえばいいという訳でもない。
暗黙知が人の行動にしか現れないというのは、それだけ他の知識と結びつきが強いからだ。
すなわち、暗黙知を形式化するには膨大な情報量が必要だ。
だが実際はそれが行われることはなく、利用者が各々知識を補いつつ獲得していくというのが現実だろう。

結局、生産的な議論にはならない着想だったが、今の人間的なつながりに重きを置きすぎるノレッジマネジメントの流れは本質を見失ってしまわないかというところに疑問を呈しておきたい。


食と人類

加熱調理は、ヒトの脳を“進化”させ、体を“退化”させた? - http://yashoku.hatenablog.com/entry/2013/11/27/221458

食を愛する人間としてなかなか夢を見させてくれる記事だったので紹介。

ー人間の脳はまだ進化する?
ー食の発展と人類の発展。
ー脳のエネルギー消費はとても大きい

2014年1月14日火曜日

VRINフレームワークとは:経営資源の分析ツール

経営戦略のツールとしてVRIOフレームワーク(参照)はよく聞くが、VRINフレームワークとは何か。
日本語検索してもあまり出てこないのでまとめてみた。

フレームワークの主目的は同じで、経営資源における競争優位性のソースを分析するツールである。
RBV(Resource-based View)の主要な理論の一つだ。

VRINでは最後の一文字が違い、Organisation(組織)の代わりにNon-Substitutability(代用可能性)が使われる。

Value(価値):その経営資源は価値を作りだせるか
Rarity(希少性): その経営資源に希少性はあるか
In-imitability(模倣可能性): その経営資源は模倣されないか
Non-substitutabitily(代用可能性): その経営資源は代用可能ではないか

例として素晴らしい工作機械を保有している企業を想定してみる。
V:その機械は効率や品質向上などの価値が出せるか
R:その機械はどこでも手に入るような代物ではないか
I:その機械は誰でもすぐ真似して作られてしまわないか
N:その機械で出来ることは(多数の工作員などで)代用可能ではないか
と、こんな感じで分析していくことになる(実際はもっと広く深い分析が必要だろう)。

VRIOとの違いについてだが、Organisational Capability(組織能力)をどう扱うかの問題だと個人的には思う。
VRIOのOは組織がVRIの三文字にある潜在的な競争優位性を享受できるかを分析している。それに対して、VRINは全て経営資源の潜在的な優位性の分析に焦点が置かれている。
そういう意味でVRINの方が純粋に経営資源を分析し、競争優位性を評価できるフレームワークだと思う。

上の例で補足するなら、高価値を生み出せる希少かつ真似できない工作機械を持っている組織体制の整った日本企業でも、同じ価値の創出を多くの工作員の手作業などで代用できてしまえば、それが出来る発展途上国の企業などと比べて、競争優位性は確実に劣るだろう。
(ただ、安い人材を経営資源としてみれば希少性・模倣可能性の点で日本企業が劣っていると捉えることもできるのだが。)

ということで、Oでカバーされる組織能力(Capability)は他のツールなどで分けて分析するべきだと思う。ただ、組織”能力”自体もVRINを使って分析できたりするかもしれない。

2014年1月13日月曜日

選挙権年齢の引き下げ。世代間格差

「世界で最も若者の声を聞かない国」の若者へ!世界では16歳が選挙する - http://agora-web.jp/archives/1577283.html

世界的に政治が若年層に及ぼす影響が増大している。
なので、現在の世界のトレンドとしては選挙権の最低年齢は下がっている。
いまだに20歳という非常に高い年齢設定しているのは日本だけ。
どんどん選挙権年齢を引き下げて、若者の声を聞け。

といった内容の記事。

世代間の人口格差が広がっていくにつれて、若者の意見は政治に反映されにくくなる。
青少年保護法と引き換えに選挙権を下げるという政策案が出てこないのはなぜか。

良記事でした。